地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、成田・印西の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

成田・印西の地域情報サイト「まいぷれ」

イベント取材に行ってきました!

成田市西大須賀にある耀窟神社(ようくつじんじゃ)の獅子舞、無病息災を祈る湯立神事

4月16日西大須賀の耀窟神社で行われた、無病息災を祈る湯立神事。新緑の境内でとてもユニークな神事を取材しました。

湯立神事は、無病息災を祈り清められた熱水を浴びるんですね。最前列には猛者が陣取る熱~い神事です。

児塚、耀窟神社について

第99代後亀山天皇(南朝最後)の第3皇子良泰親王の會孫斯波波毛野飛騨守尊親(栗橋、相馬の領主)は、その末子児丸と共に元亀元年(1501)この地を訪れるが、8月晦日地元豪族により誘われ傷死する。尊親は号を熊窟といい、故郷では熊窟大明神として、児丸は若宮八幡宮として祀られている。

按ずるに尊親は西大須賀耀窟大明神へ、児丸は四谷児塚(若宮)に祀られたものと思われる。尊親親子がなぜこの地を訪れ誘殺されたか不明であるが、恐らく南朝皇孫として軍旅ではなく、南朝の忠臣小田氏の菊水山、更に重臣藤原師賢卿の遺跡を弔わんとし不慮の災厄に遭ったものと考えられる。師賢卿の死より179年の後であった。(八幡神社宮司様より頂いた資料より)

 

由緒・祭日について

鎮座年記は不詳ですが、かつては今宮天狗宮と称し郷人の信仰を集め、利根対岸、印旛地方にも信者を有していたが明治末期八幡神社に合祀し名碑のみとなっていたが、昭和四年西大須賀区民の神徳を仰ぎ再建される。昭和十二年参道の石段と鳥居を建立し現在に至る。

例祭日:4月16日

秋季大祭:10月16日

麓からの長い長い石段を登り、参道へとたどり着いた、と思える登り石段です。

前日の八幡神社から移動し、ここ耀窟神社へ繋がる神事は、地元の保存会の方々の誇りです。

お囃子が鳴り始めるといよいよ奉納へと進んで行きます。

先頭は、湯立神事を伝承する子供たちです。

今朝の雨も午前中には止んでくれました。

社を一周した後、お祓いを受けました。

祭神:稜威尾羽張神(イツオワバリノカミ)

「耀窟大明神」と画かれています。時代を感じさせられます。

社の裏側には石碑

新緑深くなった境内は、雨の後もあってか、とても鮮やかな緑です。

普段は静寂な耀窟神社も、今日ばかりは大変賑やかな一日となりました。

さて、いよいよお祓いを頂き湯立神事の真骨頂が。

既に釜の中は熱そうな・・・。

参詣した皆さんは、誰が最前列で陣取るかの駆け引きが?

まだ?まだ?

うお!!!!

き、来た~!!!

うわ~~~!!!熱~~~~い!!!!

湯立神事に使用された笹は、

参詣された皆さんに配られます。

ん?お団子を配り始めました。

笹の軸に、お団子を刺してそのまま食べられるんです。刺すお団子は奇数個です。なぜかって?「縁が切れない」とか日本料理の考え方と同じなのだそうです。

焼き団子も良いですね!

ちょっと焦げ目をつけて「パックっ」といっちゃって!

湯立神事の獅子舞の奉納。

「舞」が奉納されました。

神事奉納され、一通り終了すると

元来た参道を戻りました。

「まいぷれ成田・印西・白井」は、伝統由緒のある神事・芸能が多いこの地域を更に取材させて頂き、広く皆様へお伝えしたいと思います。

 

謝辞:

八幡神社宮司で在られる飯塚様には、大変ご多忙のところ、この取材に快く応じてくださり、誠にありがとうございました。

この場を借りて御礼申し上げます。