宗吾旧宅
宗吾旧宅...パワーを感じる場所です。
木内惣五郎の木像とご先祖ご家族のご位牌
宗吾旧宅は、宗吾霊堂(鳴鐘山東勝寺)の御本尊として祀られている義民佐倉宗吾(本名:木内惣五郎)が住まわれていたお屋敷です。約400年も前から現在に至るまで、先祖代々このお屋敷を守ってこられているご子孫の17代ご当主木内さんにお話を伺いました。
木内惣五郎の祖先は桓武平氏千葉氏で、戦国時代天正十八年(1590)の小田原合戦で北条氏に味方した千葉宗家と共に木内家も参戦し敗戦後は武士を捨てて、この地に帰農したと云われています。江戸時代、佐倉藩の支配下で名主となった木内惣五郎は苗字帯刀が許され、当地のリーダー的存在だったそうです。
惣五郎が義民として称えられている功績については省略しますが、成田市のホームページから以下に引用しました。また宗吾霊堂の宗吾御一代記館では、惣五郎の甚兵衛渡し・妻子との別れ・直訴から処刑に至るまでを人形66体13場面の立体パノラマで展示されています。
惣五郎と同居していた4名の子供たち亡き後(奥方は処罰の対象とはならず尼となり、惣五郎と子供の霊を弔って余生を過ごされたそうです)、水戸藩領内に嫁いでいて刑を免れた次女が夫と死別後、実家に戻って再婚し木内家を継ぎました。それ以来、代々のご子孫がお屋敷を受け継いでおられます。
寄棟造りの屋根
約400年前に建てられたお屋敷は寄棟造りで、江戸時代から伝わる「かのこ建て」(土台がなく丸石の上に直接建てる)と呼ばれる建築様式です。当時の屋根は「かや葺き」だったそうですが、残念なことに、かや葺き屋根の職人と材料の調達が困難となり、40年位前にトタン板に替えられたそうです。
しかし、石の上に一本ずつ柱を打ち込んだ「かのこ建て」は免震構造になっていて、関東や東日本大震災など過去6強の地震があっても、柱はびくともしなかったそうです。先人の知恵に感服!です。
玄関の扉をくぐり一歩足を踏み入れると厳かな雰囲気が漂っています。
佐倉宗吾については「佐倉義民伝」「東山桜荘子」など歌舞伎の演目にも取り上げられており、上演前には出演者の皆さんが、ご挨拶に来られたそうです。その時の写真が掲げられていました。
宗吾旧宅は文化財の指定を受けておられず、木内家個人で維持されています。大切に保存されるために計り知れないご苦労をされていると思いますが、見学を受け入れてくださっています。ご在宅であれば建物の中に入って説明もしていただけますので、一度訪れてみてはいかがでしょうか。
拝観時間 9:00~16:00(不定期に休館)