宗吾旧宅
佐倉藩木内惣五郎没後370年記念碑がこのほど完成し、義民佐倉宗吾様を慕う方々の想いと共に石碑除幕式が執り行われました。
成田市・宗吾旧宅敷地内に設置された記念碑。恒久宗吾旧宅を守りたいとの想いの込められた記念碑になりました。
宗吾旧宅は、宗吾霊堂(鳴鐘山東勝寺)の御本尊として祀られている義民佐倉宗吾(本名:木内惣五郎)が住んでいたお屋敷です。
江戸時代から伝わる『かのこ建て』(土台がなく丸石の上に直接建てる)と呼ばれる建築様式で、築約400年のお屋敷は代々ご子孫の木内家によって守られてきました。
宗吾霊堂(鳴鐘山東勝寺)より御僧侶がお出ましになり読経されました。
鳥のさえずりと、読経によって荘厳な儀式となりました。
建物はもちろん、庭園もとても四季折々を楽しめるように造園されています。四方に囲まれた成田の自然、何といっても宗吾旧宅で感じる温かさはいつまでも佇んでいたくなる、そんな場所です。
奉納された代表の方によって、除幕されました!
石碑の全容が見えると、奉納されたみなさんが写真に収めていました。
いつ訪問しても温かく迎え入れてくださり、来訪される方々に宗吾様の生涯を語られる活動を続けておられます。
世に義民として知られる宗吾は、本名を木内惣五郎といい、下総国佐倉藩公津村に慶長17年(1612)に誕生した。
公津村の名主を務め、さらに佐倉藩389ヶ村の名主総代・割元名主であった。正保元年(1644)から続いた大飢饉では、多くの農民は塗炭の苦しみに喘ぎ、租税や年貢米の滞納が続出した。惣五郎は私財をなげうって救助米を施し、藩主堀田正盛から賞賛されて苗字帯刀を許された。
しかし、正盛の嫡子堀田正信が家督を継いだ後、さらなる増税となり、過酷な年貢の取り立てが行われた。
承応元年(1652)秋に襲来した暴風雨で農作物は全滅であった。農民の中には一家離散や餓死する者も出た。
名主たちは農民を救済し、年貢減額を藩に願い出たが、藩では増税断行の強い態度を弛めなかった。代表名主たちは江戸へ出て嘆願書を佐倉藩上屋敷に差し出し、さらに老中久世広之に願い出たがお取り上げにはならなかった。
※出典:宗吾旧宅ホームページ
宗五郎の望みが叶うたなれば、
三百八十九ヶ村の村の衆のその喜びはどれほどか、
それを思えば宗五郎の命の一つや二つ決して惜しいとは思いませぬ
※出典:前進座『佐倉義民伝』公演より
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。
成田市の「宗吾旧宅」で奉納碑の除幕式が執り行われました。
佐倉藩木内惣五郎没後370年記念碑がこのほど完成し、義民佐倉宗吾様を慕う方々の想いと共に石碑除幕式が執り行われました。
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